イラストレーター、エディアース。その名の由来とは?スコアのない人生に疲れたおじさんがたどりついた熱き目標。

はじめまして!

エディアース
エディアース

はじめまして、エディアースと申します。
ブログをご覧いただき、
ありがとうございます。
お絵描きコーチの肩書で
絵描きさんのサポートを中心に
活動しています。

はじめまして!

エディアースと申します!

ブログをご覧頂き
ありがとうございます♪

私は”大人の遊び心をくすぐるアート”として
イラスト制作や、お絵描きコーチの
活動をしています。

私のことを
知らない人ばかりだと思うので、

軽く自己紹介させていただきます。

このブログを書いている2024年5月
現在は59歳。

地方の中小企業の会社員として働きながら

イラストレーターとして
趣味だったところから
独立を目指して動き始めたところです。

学生の頃、美大に通って
絵描きを目指しながらも

『絵で飯は食えない』という言葉に
呪われたかのように絵の道に挫折し、
おおきなまわりみちをしてきた私。

そんな私がなぜ、
会社員という働き方から

イラストレーターとして
独立したいと思うようになったのか、

また、なぜお絵描きコーチを
始めようと思ったのか、

その経緯をお話しします。

私が絵の道を志したのは
かれこれ43年前。高校生の頃でした。

特別成績がいいわけでもない。
そのころは身長だって前から3番目。

外見だってどっちかというと冴えない
陰キャラ。

いたって普通の真面目君タイプの
私でしたが、

なぜ、絵描きの道に
進もうと思ったのかというと、


進学か就職か。

高校2年生の頃って
進路相談の時期ですよね。

現実の世界がどんなものかも
良く知らないでいたので、
頭の中はほぼ絵のことしかなく、

美術の先生にでもなれたら
どうにかなるぐらいにしか
将来について考えていませんでした。


実は、私の両親は
聴覚障がい者で、
早い話、耳が全く聞こえません。

物心ついた頃から
両親との会話には

言葉ではなくて落書きのような
絵でやり取りをしていて、


両親が私の絵をみて
手をたたいて
喜んでくれた記憶も。

そんな環境の中だったからこそ
絵を描くことが心から好きに
なったのだと思います。

そして、当時は昭和の真っただ中。
漫画雑誌やテレビアニメが
花盛りの時代でしたので、

小学校、中学校のころは、
ロボットやヒーローを
描きまくってました。


そこで自分で絵を描くことに
興味を覚えた私は、

高校入学と同時に
美術部に入部しました。

そして、高校2年生の春、
私の人生の方向付けとなった
美術教師のU先生との出会いによって、

美術の世界の
魅力にとりつかれてしまい、

私はごく自然に

『絵描きになりたい』

と思うようになり、

しかもそれは日を増すごとに
大きく膨らんでいきました。

そうして私の中での
卒業後の進路は

美大一択。

私の中で膨らむ妄想は止まりません。

毎日が輝くような日々を過ごし
美術室に通うことが
めちゃくちゃ幸せでした。

そんな青臭い男子高校生が
ふわふわした妄想をしているうちに
進路相談の日がおとずれました。

ところがです。

進路指導の先生に
美大に行きたいと告げたとたんに 

若き日の私には耐えがたい
『呪いの言葉』を
浴びてしまったのでした。

今思えば、

進路指導の先生にしてみたら
誰一人路頭に迷わせたくないとの
思いだったのでしょう。

『君の成績なら十分に就職できる。』
『親御さんに負担かけず安心させてやれ。』

と、堅実な道の選択を
さとされもしました。

けれど私にしてみれば急転直下。
めちゃくちゃショックでした。


大きく膨らんだ夢に
大人の都合で横やりな
疑問を突き付けられたのですから。

もしかして自分の考え方が
間違っていたのかもと悩み、

更に追っかけ求人募集の
掲示板を何度もタテ読みしに
行きましたが、

どうしても就職のイメージがわかず、

美術のU先生の助けをかりて、
短期大学ではあるものの

なんとか美大には進学できましたが…

夢のような
キャンパスライフもつかの間。

その後、交通事故や失恋など、
ネガティブなことが続き、

しかも私をフッた彼女は
同じクラスのヤツと付き合い始めて…

当時の私は、ひ弱な心しか
持ち合わせておらず、

学校に居づらくなり、

それ以来、ろくに学校にも行かなくなり、

アルバイト先に居場所を
求めるようになりました。

それがスイミングスクールだったのです。

スイミングスクールのアルバイトでは、
貧乏学生の私にとって
やさしくあまいポイントがいっぱい。


・こどもたちが慕ってくれて楽しい
・それでいて時給が比較的高い
・シャワーが浴びれてお風呂代が浮く
・先輩がちょくちょくおごってくれる


そうやって楽な道を得た私は
夢を見失い
絵もかかずに、筆をおき、

そういった経緯で卒業後は、
まるで絵のことから逃げるかのように

地元へ戻り、

スイミングスクールに就職という
別の道を選んでしまっていたのでした。


きっと、子供たちとのふれあいの中で
自分の心の癒しを
求めていたんだと思います。

そこから、私はのめりこむように
畑違いともいえる仕事に
打ち込みました。

水泳指導の仕事は特殊でした。
朝5時にプールのドアを開け、
ボイラーを炊き、

家に帰りつく時には日付が
変わっていたなんてことは
日常茶飯事。

それでも子供たちや
スクールの会員さんとのふれあいは
楽しく輝いていました。

時はちょうどバブルの最盛期。
一番日本が元気な頃でしたし。

しかし、そんなバブルは
数年もたたないうちにはじけ、
時代は失われた十年へ突入。

この不景気はその後の私たちの
人生を大きく変えることになりますが、

この時はまだ知る由もなく…

時代が目まぐるしく変化するさなかに
私は家内と出会い、家庭を持ちました。

その後、家族も増え、
双子の男の子に6歳離れた弟。
5人家族を支えるため

私はさらに仕事に打ち込みました。


気が付けばすでに美大卒業からは
10年の月日が流れ、

そのころは絵を描くことも忘れ、
水泳が自分の天職だとも
思い込んでいました。

しかし、生活はそうかんたんに
ラクにとはいきませんでした。

家内以外は
男ばかりの育ちざかり。

人並みの幸せを追いかけていた
だけなんですが、

スイミングスクールも
少子高齢化のあおりを受け、
会員が激減。

本業だけではとても
収入が足りないため

私はいつしか
やむを得ず2つの仕事を
掛け持ちでやっていました。


午前中はアルバイトで
午後に本業の水泳指導の仕事。

朝7時に家を出て、
帰宅するのは10時過ぎ。

午前中の仕事は
アルバイトとはいえ、
仕事は山積み。

時間までに終わらせないと
本業に間に合わない状態で
毎日必死で仕事を進めました。

先生が遅刻するわけに
いきませんからね。

しかし急いでいるときに限って
イレギュラーが発生して

その対応に追われる
といった毎日でした。

このころの私は

頑張ったらいつかは給料が
上がると思い込んでいました。

来る日も来る日も
余裕のある暮らしを夢見て。

しかし、そんな無情な日常を
30年間繰り返しているうちに

自分でも気づかないうちに
カラダにかなりの無理を
ため込んでいたようで

私の心臓が悲鳴を上げ、
発作がひんぱんに
起こるようになり、

ついには
手術を受けなければならない
状況にまで追い込まれていたのでした。

心臓手術

私は頻発する心臓発作を
抑える手術を受けるため
とある大学病院に入院しました。

手術の3日前、

どうせ時間を持て余すだろうと
踏んでいた私は、

久しぶりに
学生の頃に美術大学で学んだ
デッサンを描いてみたくなり、

鉛筆とスケッチブックを
病室に持ち込み

じっくり絵を描いてみようと
たくらんでいました。

案の定、検査以外は暇そのもので、
食事はついてくるし、静かだし。
作画活動には最高の環境でした。

でも、もう何年もの間、
デッサンなんて描いてないし、

相当、腕もサビついてるんだろうな
と思いながらも

スマホの写真を見ながら
みかんの絵を描いてみたところ、

久しぶりにしては思いのほか
立体感や質感が表現できて

『俺、まだやれるじゃん。』って
悦に入り、

ソーシャルワーカーさんや、
看護士さんたちに見せびらかしたら、
大絶賛を受けることに。

もしかしたら万が一
手術が失敗して
私が帰らぬ人になっても、

自分が生きた証には
なるかもしれないという
思いも手伝い、

手術を受けるまでの3日のうちに
4枚ほど描き上げました。

人間って死を意識すると
強くなれるものですね(笑)。

その時、私はひさしぶりに、
いや、初めて自分が
本当にやりたいものが何か、

自分がこの人生で
何者になろうとしていたのかに
気が付いたのでした。

そこでたどりついた答えが

『やっぱり
絵が描きたい。』

だったのです。

ストレッチャーで手術室に運ばれるとき、

廊下の天井の照明が
後ろに流れていく風景を見ながら、

『もう一枚くらい描いておけばよかったかな。』
と感じていたのは今でも覚えています。

そして手術室へ。

手術後

病室のベッドの上で

目を覚ました時は
とても不思議な感覚でしたが

手術は成功したと聞かされ、
ホッと胸をなでおろしました。


退院後、自宅に戻った私は
何かにとりつかれたかのように

これまでに描けなかった
思いを取り戻すかのように

日々、鉛筆画を
むさぼるかのごとく
描き続けていきました。

しかし、そんな私も
やがて数人の人に
観てもらうだけでは飽きたらず

そのためには何を
どうすればいいのか考え始めました。

あれこれと思いあぐねた末に

とりあえずSNSでも
始めてみようと思いたち、

そこで2018年、8月。
インスタグラムを
はじめてスタートさせたのでした。

それから似顔絵の投稿を
続けていくうちに

あれよあれよとフォロワーが
1500人を超え、

想像以上の好反応!

当時、個人のアカウントにしては
かなりバズっていたんじゃ
ないかと思います。


しかし、
現実はそこまで甘いものでは
ありませんでした。

仕事に復帰した私は再び
忙殺の日常へ舞い戻ることに。

またもや、仕事に子育てに 
多忙に追われる日々の中で

絵の道から遠ざかることに
なっていきました。

それでも
子供のころから絵が好きだった

私の心の奥底で

再び燃え上がった
絵を描くことへの情熱は
消えることを知らず、

『もっともっと絵がかきたい!』

絵を描く時間が
もっともっと欲しいと思うようになり、

この状況から
抜け出せる方法はないか、

何かこの絵の道で
生きていく方法はないかと

もっと真剣にこの先のことを
考えなきゃと思うようになりました。

自分のことだけでなく、
家族を支えてくれている家内、
そして息子たちの未来のこと。

つつましい生活ではあるけれど
家族が笑いあって過ごす時間は

なにものにも代えがたい
私にとっての幸せの原点。

もしかなうことなら、
私の描く絵で生計を立て、
家族の笑顔を守って行けたなら…

けれど…

こんな50過ぎのおじさんに

どこかの誰かが
手を差し伸べてくれるなんて
夢のようなことがあろうはずもなく、

ただただ、悶々とする中で…

とにかく
今の自分が出来ることから
始めてみよう

とおもいつき、 

もしも自分が事業を
立ち上げられるなら
どんな名前がいいだろう

考えるだけならタダだし。と、

あれこれ3日ほど悩み、

考えて、考えて、考えて…

絵を描くことを仕事にするのなら、

自分と同じような忙しい毎日を
必死に頑張って過ごしている
人たちにこそ絵を見てもらい

心を癒やして欲しい。

これを名前にすることを思いつき、
考えに考え抜いて、出た言葉が

『絵で癒す』でした。

と、横文字にしてみたら
思いのほかカッコ良くて、

我ながらいい名前だとすぐに気に入り、
それ以来、この名前を
使っているというわけです。


けれど、現実の生活の苦しさに変わりはなく、

いくら仕事を頑張っても
給料が上がるわけでもなく、

絵を描く時間が増えるわけでもない。

描いては離れ、描いては離れ、

私がなりたい自分になる道は
まったく先の見えないトンネルのようでした。


けれど、これまで何も挑戦することもせず
自分の本当の気持ちにフタをして、

38年間も遠回りをした原因は、

この時の私には
無情にも、なすすべがなく、
絶望すら感じていました。

この先に何の希望があるのか
それならいっそ周りに迷惑だけは
かけないようにと

私は観念し、
債務整理をしようと考えていました。


当時、描きためていたイラストを
公開していたSNSに一通のDMが。

それはイラストレーターを趣味から
副業へ、副業から本業へとステップアップして
活動している” T ”さんからだったんですが、

これが後に私にとって本当の意味で
残りの人生を救ってくれる
出会いとなりました。

Tさんはもともと大手IT企業で
キャリアを積んでいたところから、

美大志望をあきらめた過去があり、

それでもどうしてもイラストレーターに
なりたくて努力を積んで
キャリアチェンジを果たし、

フリーランスという働き方を
実現させている方でした。

そして今では
胸張ってイラストレータとして
立派に絵描きの仕事をしている。

お話ししたら
何か絵描きへの道のヒントを
もらえるかもしれないと思い

連絡をとってみることにしました。

実際話してみたら
とっても話しやすく明るい方で、

今悩んでいることを相談してみることに。

最初は
『いや、まさか。絶対だまされている。』
と半信半疑だったんですが、

連絡を取り合っているうちに
どこにもうそぶいたようすがなく、

とても丁寧に話を聞いてくれて、
ご自身の身の上もきちんと
お話してくださり、

そもそも、私のイラストを気に入って
興味を持って下さったことがきっかけで
声をかけてくれたのでした。

そう、おおむね、あきらめかけていた
絵描きで生きる道に
私を導いてくれたのです。

その2週間後、カフェで
直接あってお話しました。

ネット上の人で対面で会うのは
初めてだったので

「大丈夫かな・・・。」
という気持ちもありましたが

Tさんの人柄を信じることに。

実際にお会いしてみると
とても明るく元気な方で

電話でお話した時のイメージ
そのままでした。

とおっしゃっていただき、

そのまっすぐな眼に
『これは紛れもない本物だ。』
と確信しました。

その時の私は

まさに『蜘蛛の糸』のカンダタ。

地獄に一筋の光を見出したようでした。

そこから本格的にTさんの
元に弟子入りすることになり、

いろいろ丁寧にアドバイスを
いただいて、

おしえてもらったことを
実行してみたら、

今ではフォロワーが
3000人を超えることに!

お客様の中には

あなたにイラストをお願いしたい!
言っていただいたりすることも。

そこから、
リピートの注文もいただけるようになり、

私という人間に共感してくださる
お客様とお仕事ができる
幸せを感じています。

今は、私と同じように
絵の道で前向きに
頑張っていこうとする仲間もいて、

私以上に生き生きと頑張る姿を見て
毎日のように刺激を受けています。

周りがそんな人たちだらけなので
自分の基準がどんどんあがっていき、
下を向いている暇がないくらいです。

Tさんのアドバイスの中から
すごく励まされた言葉が、

どうせ
うまくいくから

これまで ” 自分を信じる ” という言葉が
しっくりこなかった自分がいましたが、

結果を先に決めて動く
上手くいく人の考え方を教わりました。

以前の私は、出来ないことは出来ないと
決めつけて動いていたんです。

いや、そもそも失敗を怖がって
行動すら起こしてなかった。

そこに自分が苦しんできた
一番の原因があったのです。

動いた結果はどうであれ、
すべて上手くいくための
布石になるんですよね。


もし、あのDMを『あやしい』と
切り捨て、Tさんとの出会いがなかったら、
いまごろどうなっていたでしょうか。

おそらく、あのまま悩み続けて
いまだにトンネルの中にいたか、

もうあきらめていたかもしれません。

正直、自分自身を信じ切ることも出来ず
夢をかなえるのは無理だと

心の隅では
思っていたのかもしれません。

でも、Tさんとこうして出会い、
そこから同じ夢を持つ仲間に出会え、

さらに私を信頼してくださる
お客様とのつながりももらえて、

そうして私はこの若き日の夢を
熱き目標に変えて、現実に変えるべく
活動しているというわけです。

でももし、あの日

若き日、
挫折した日の私の前に

Tさんのように正しい道へと
導いてくれる人がいたなら…

私が過去に経験してきた
こんなつらい思いを
しなくて済んだかもしれません。

38年の日々を違うことに
つぎ込んでしまうことも
無かったでしょう。

いらぬ苦労をするのは
私だけで、
じゅうぶんです!!

そこで私は一念発起し、
行動を起こすことに決めました。

それは、
絵描きさんに寄り添う

エディアース
『お絵描き』コーチ
です。

もしこれを読んでくださっている
あなたがくじけそうな状況に
いるのだとしたら、

一番伝えたいことは、

絵が心の底から好きなのに
表現が上手くいかないとか、
上達方法が分からないなど、

そんなお悩みを解決し、
あなた独自の絵の世界観を作り上げていく
お手伝いをしていきます!

また、絵だけのことに限らず、
夢や目標に向かう、
心の支えになりたい。

いつかの自分のように
諦めることなく、
後悔をしないように応援していきたい。

わたしが今、
Tさんの支えをいただいて
希望が持てたように…。

ただし、
ここは勘違いしないで
聞いてください!

大事なのはあなたがどれだけ
本気になれるかです。


やる気のないスポーツ選手は
誰も応援しませんよね。

もしそう思っているあなたが
この記事を読んでくださっているなら、

そんな風に本気で思うあなたを
私は全力で応援します。

先に2つの大切なコトをお伝えしますね。

中には、美大に行くことかなわずに
画家の道をあきらめた方も
いるかもしれません。

あるいは、テクニックばかりをあおり、
基礎の大切さを軽視した情報に
惑わされている方もいるでしょう。

また、スーパー神絵師と
自分を比較して
劣等感を抱いている方も。

苦手意識が強くて
ヘタウマなゆるキャラばかり
描いている方も。

もしいつかの私と同じように
前を向く道が見えなくて
現状に悩んでいるあなたは

この2つは絶対守ってください。

私も正直、独学で本を読みあさり、
インターネットの情報でもあれば

だれにはばかることなく
一人で上達できるだろうという
変な意地がありました。
(元来へんくつなもので…)

ハッキリ言います。

そう。一人だと

自分では気づかないうちに
目標達成への道から
外れそうになったときや、

気持ちが折れそうになったとき

喝を入れてくれる
仲間はいません。

だからこそ、
同じような悩みを抱えている人に
いち早く気付いてほしい。

私が持てるすべてを
あなたにも惜しみなく伝えていきます。

絵の基本は
地味ではありますが、

あなたの絵の世界を
無限に広げてくれます。

たとえそれがどんな絵であっても。

さらに言えば、

基礎を繰り返していく先にしか
超絶テクニックはないのです。

さあ、基礎をしっかり学んで
一緒に絵描きとしての
上達の道を着実に歩んでいきましょう!

長くなりましたが、
最後まで読んでいただき
本当にありがとうございました!

p.s.

学生の頃、美大に通って
絵描きを目指しながらも

『絵で飯は食えない』という言葉に
呪われたかのように絵の道に挫折し、
おおきなまわりみちをしてきた私。

昔の私と同じように
壁にぶつかり悩んでいる方はもちろん、

絵描きとしての成長を
遂げたいという方へ

私が経験してきたすべてを
惜しみなくお伝えしていきます。

公式LINE限定の情報も載せていくので
一緒に頑張りたいという方は
是非のぞいてみてください。

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